生イスラエル

なぜにイスラエル?いや、ほんとなんでイスラエル?自分でもわからんことだらけのイスラエル留学生活奮闘記。

骨折ミサイル

今日なんか寝られないので、

ブログ書きます〜笑

えーと、自分が怪我したエピソードなので、

結構痛い感じのやつです笑

なので、苦手な人はパスしてください〜

 

これは5年前に起こったことの回想録である。

 

イスラエル留学も一年が終わろうとしていた。

僕はいつものように同じ寮のインド人と中国人と一緒に

フットサルをしに行ったのだった。

 

それが、運命の分岐点とも知らずに。

 

最初からなにかおかしかったのだ。

そう、ボールに空気が入っていなかったのだ。

忙しい時期だったのもあって、運動不足だったのもあるだろう。

 

勢いよく、ボールをドリブル。

相手をかわすために、足首をしなやかに駆使し、

ボールを転がす!

 

ガッッッッキィィ

 

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違う!

 

何かが割れた音がした。

それは僕の足首だった。

 

ボールがパンクしていたので、うまく転がらず、

ボールに足が転がされ、

脱臼。

変な角度に足首が。

 

アドレナリンが出まくる。

そのせいで痛みを全く感じない。

過呼吸気味になる。

 

「俺が直してやるよ!ただの脱臼さ〜」

野次馬から我こそはと名乗りでるやつ。

「任せろって!」

 

任せられるか!!

 

医者に行く!医者を呼んでくれ!

医者ぁああ!

ってお前が医者だ!(ウソップ風に)

あ、おかまいなく。

 

 

タクシーを呼び、一旦寮に帰って、保険証を取りに行く。

病院に着く。

救急室に行くが、列に並べと言われる。

 

アドレナリンの効き目がなくなってくるのがわかる。

骨が元ある場所に戻ろうと足を圧迫する。

 

待つこと30分。

一緒にサッカーをしていたインド人も運ばれてくる。

 

なんでお前もここに??

 

彼もフットサルで怪我したみたいだ。

だが、僕よりは元気そう。

 

僕とそのインド人が同じ病院んい運ばれて来たことを珍しがって、

一緒に写真を取ろうとする付き添いの中国人。

愛想笑いも、それをする必要すら感じられない。

 

そして、その時は誰も骨折ほどひどいとは思っていない。

 

待つこともう30分

やっと自分の番が来た。

自分の状態を見た医者がことの大きさに気づく。

 

医者「なんで、もっと早く来なかったの!?」

僕「いやいやいやいや。待ってろって言われたし!」

医者「こんなに大変なのよ!列なんて無視して割り込んで来なさいよ!」

 

イスラエルとはどういう国なのかを肌で感じた19歳。

弱い麻酔を施される。

 

待つこともう15分。

3人の医者が来る。

脱臼をまず直すそうだ。

まず、局部麻酔を足に打つ。

二人に抑えられ、一人が直そうとする。

直った!と思えば、筋肉に力を入れてしまい、

足首がまた脱臼の位置に戻る。

 

「リラックするするんだ。そうでないと、また戻ってしまう」

 

この状況でリラックスできる神経が知りたい。

 

3回目に直そうとするとき、なんとか戻らずにすんだ。

足がまっすぐなって、圧迫がなくなった。

これだけでも、だいぶ助かった。

 

医者たちの会話を聞いてみる。

「あの日本人叫んでなかったぞ。イスラエル人なら悲鳴をあげているはずだ。」

もう何が普通だかわからない。

 

しかし、このときはまだ脱臼だとしか思っていなかったので、一安心。

骨は折れていませんか?と聞いても、

「あー、折れてないと思うよ〜」

との返事。

(いや、折れてたし)今思う。

もう1時間ほど待たされて、レントゲンを撮る。

インド人の方は軽傷で、そのまま家に帰ったが、

私は入院となった。

 

病室に通され、鎮痛剤を点滴で投入される。

両隣に他の患者さんたちがいる。

あまり寝られたような記憶はない。

ベッドに入って2、3時間たったくらいだっただろうか。

 

ウウウゥ〜〜〜ウゥゥゥ〜〜!

 

映画でしか聞いたことない音が鳴り響いた。

空襲警報だ。

このとき、確かレバノンからミサイルが飛んで来ていたそうだ。

イスラエルの各アパートには防空壕がついており、

警報が鳴れば、そこに走りこまなければいけない。

 

のだが。。。

 

歩けない。

 

絶体絶命や。

 

と思ったが、周りの患者さんを見ても動く気配はない。

(あー、これはミサイル来たら、終わるやつだ笑)

となぜか心は冷静。

 

_______________そのとき寮では_________________

 

怪我をしていて、一緒に病院に運ばれて来ていたインド人が、

誰よりも早く防空壕に駆け込んだことは、

後から聞いた話だ。。。

 

 

走れるやん。

 

_______________________________________ 

次の日。

手術をしたいのだが、足首が腫れ上がりすぎて、できないとのこと。

氷とかを当てたらどうだ?と医者に聞いたが、

怪我した直後にしないと意味がないらしい。

てか、列で1時間半くらい待っとったせい〜〜?

 

でも、あ、手術しないといけないのね。

ヘブライ語から悟る。

ちなみに、手術はヘブライ語

ニトゥアフ

だが、結構難しい単語で、

イスラエルにまだ1年しかいない僕が知るはずもない言葉だった。

 

が。

 

その学期なぜか医療系ヘブライ語を勉強していたから、知っていたのだった。

うちの学校が工学系なので、それに役立つヘブライ語を勉強する授業をとっていたのだった。

めちゃくちゃ役に立った。

 

痛い

コエブ

 

体重

ミシュカル

 

トルファ

 

入院するために勉強していたようなもんだ。

腫れが引くまで、一週間ほど退院してまた戻ってくるように言われた。

 

寮に帰って、空襲警報のなった夜のことを聞かされる。

インド人はピンピンしている。

その夜、なぜかうちでパーティーが催されていて、

 

全く寝られない。

 

病人に対する気遣いは

エイフォ!?(どこ)

と思いつつも、良い友達たちに恵まれており、

ご飯とかを作ってくれたりした。

 

 

10日後くらいにもう一度入院し、

腫れがちゃんと引いていることを確認すると、

手術することに決まる。

 

病院食のメニューも面白かった。

あるときは、鳥の胸肉ステーキとかがでたと思えば、

あるときはりんごとヨーグルトの箱一個という、

昼と夜の気温差が激しい

砂漠か!

ネゲブか!

チンの荒野か!

 

右隣のおっちゃんがアラブ人。

左隣の人ロシア人。

 

ヘブライ語でさえない。

(がんばってアラブのおっちゃんとカタコトのヘブライ語で話そうとした)。

 

そしていよいよ手術の日。

連れて行かれる。

手術するってことはわかってるけど、詳細がいまいちわかってない。

ま、なんとかなるでしょう〜

 

全身麻酔用のよく映画で見るプラスチックのマスクを被せられる。

 

(お、これは、映画みたいに、カウントダウンしてくださいって言われるんだ!)

 

と思ったか思わなかったくらいが僕の最後の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

いきなりやるんかい!

 

なんかせめて、始めまーすとか。

ピッチャー投げます!みたいな、合図あっても良くない?

 

ま、でも、全身麻酔って不思議なもので、

まったくの無意識を初めて経験した。

時間と空間の感覚が全くなくなる。

どれくらいの時が過ぎたのかとか、

どこにいるのか、移動させられたのとかが全くわからない。

 

目が覚めたのは確か一日あとだったと思う。

手術は成功したと告げられた。

4、5時間レベルの難しい手術だったと聞かされた。

(え、簡単って言ってなかったっけ。。。)

と思った。

日本で夏休み中にリハビリしたのだが、

日本の先生によると、とても良い手術をされましたね、と言われた。

イスラエルの外科のレベルは高いらしい。

その後はベッドを早く開けたいらしく、

追い払われるように病院を出ていった。

 

その後、家族に連絡取り合ったり、

期末試験のために勉強したりしていた。

かなりの大怪我だったのだが、なぜだか特に勉強に対する不安とかはなかった。

 

今思えば、神様が精神状態を守ってくれてたんだな〜と思う。

普通、期末試験中に手術!?

無理無理無理無理!

絶対落ちる!

留年確定か。

みたいなこと考えるはずだが、

なんか不思議と落ち着いていた。

そしてその学期も最終的に、

全ての試験を良い成績で終わることができた。

 

しかも、怪我したおかげ(?)で試験時間延長の特権もなぜだか取得できた。

 

自分の住んでいた寮が数少ないエレベーター付きの寮だったことも助かった。

 

日本に2ヶ月間そのあと一時帰国したのだが、リハビリが日本帰国一週間後に始まり、イスラエルに帰る一週間前に終わったことも、タイミングが合いすぎて笑える。

 

日本で骨折の理由を尋ねられる度

「ミサイルから子供達を庇った時の勲章」

と言って、ある程度信じてもらえる特権を得たことも全て、

 

今思えば、全部神様の気遣いやったんやな〜って思う。

やっぱり神様は良い神様〜〜

とつくづく思うのであった。